いまそろの今

今更で候。インプットしてアウトプットしてわかった気になる。

書評「感じない男」



男は心に「女」という不治の病を抱えている。 

一つの事でどんなに他人より優れていたとしても
人の世で生きる者にとっては
それだけで心満たされることとは言えない。

チャンピオンの勝利に群がる者たちも様々である。
金と地位と名声を取っ払ったら
果たしてどれだけ残るだろうか。

人には尊敬がいる。
その人がその人というだけでなされる尊敬が。
同性の尊敬と異性の尊敬と
そしてなにより自分自身からの尊敬がいる。

男にとって「女」という病は死ぬまで癒えはしないのだろう。
「女」という病を克服することはない。
やれることは病状を落ち着つかせ、安定させ
病と共に暮らすこと位ではないかと思う。

 

しかし、それは至難である。

人は期せずして病の安定を欠く。
いつまでも安定してゆるがない事の方こそおかしい。

ただ、人によってはいつしか病にのまれ
病そのものと化してしまうほど深みに嵌まる者もいる。
人生は何も「女」しかないわけではないというのに。

本書と著者は、その「男の病のゆがみ」に挑む。

日本人の男にとって今やポピュラーとさえ言える
「制服」に対するフェティシズムの原理を追求すると共に
その延長線上にある少女性愛(ロリータ・コンプレックス
の正体に迫る。


私はこの「男の病のゆがみ」が
現実の人間に暴力的に向かわない限りにおいて
構わないと思っている。

妄想を妄想として、ふかし、くゆらすのは
人間にとっての最後の楽園だと思うのです。