いまそろの今

今更で候。インプットしてアウトプットしてわかった気になる。

<上下関係>上からの眺め

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あいつさえいなければ
自由に空を飛べるのに

上は下をみて思う。
あの無能め
言った通り何故やらん

下は上をみて思う。
あの馬鹿が
何故聞き入れようとしない


こんな場面。あなたが部外者で
立場上 ”高みの見物” と決め込んでいられるのなら
「どっちもどっち」
と呟いて「ハイおしまい」も手の一つですが

対岸の火事ほどの見物もそうそう無ければ
自分とは無関係に繰り広げられる死闘は
極上のエンターテイメントでありますので
ポテトチップスと炭酸飲料のお供にしては
いかがでしょうか。

それはさておき
先きにあげた「上様」と「下様」は険悪なご様子ですが
実はこころを同じくする者同士です。

何も一見喧嘩しているようでいて
ホントはお手々繋いで一緒に帰っていると言うのでは
ありません。

お互い「意のままにしたい」
という点で実に気が合うのです。

こういった手合いには
まったくもって関わり合わないのが
信条でも、そこは乗りかかった船と考えて
この際「相手を自分好みに書き換えたい」
という願望の一番たくましい例を考えてみるのも
おもしろかろうと思います。

 

コミュニケーションは
しばしば「キャッチボール」に例えられます。

野球の練習の一環である「キャッチボール」は
ボールを投げかけ、受け取り、投げ返す
一連の動作からなるウォーミングアップもかねた
スローイングとキャッチングの基本練習ですが

そのさまは人と人との「コミュニケーション」というものを
とてもわかりやすい形に示してくれます。
映画の表現においてもその人間関係を表すワンシーンとして
「キャッチボール」を用いている例は少なくありません。

しかし、この「キャッチボール」には
尋常のものではない、
あなたの知らないやり方があるのです。


これはそんなおとぎ話です。



「上様と下々」
昔々あるところに上様が下々を従えておりました。
 
下々を束ねる上様には単独において誇るべき実績と
その成功にともなう自負がございました。
 
そんな、ゆるぎない上様にとって
下々を監督するなど雑作もないことです。
 
「このオレのようになれ」
そうすれば間違いないのですから。
 
そうして下々に自分と「同じ服」を
お与えになるのでした。
上様のサイズに
上様の好みに
上様の理にあわせて仕立てられた服を。
 
ある者には大きすぎてぶかぶかに撓み、
ある者には小さすぎてぎちぎちに張り裂けそうですが
それは未熟者の印です。
 
その人にはその人の
ポジション、出自、気性、体格、など固有の性質がありますが
そのようなことはなんら重視する必要のない
取るに足らぬことであります。
 
むしろそのような雑音にとらわれているからこそダメなのです。
 
「このオレのようになること」
それこそが大切なことである。
下の者どもはちょっと頭がかわいそうなので
その事にあまりピンとこないらしいが案ずることはない。
オレの言う通りにやっていれば間違いようが無いのだ。
 
さあ、キャッチボールの始まりです。
 
上様は意気揚々。思う様に満身の力を込めて
ボールを下々に投げます。
なぜってその方が爽快だからです。
 
そんな無邪気な上様には
コントロールという卑しいお考えはございません。
 
投げるべきところに投げるのではない
投げたところが投げるべきところなのです。
 
下々はそのボールをどうにか受け取ろうと
ある者はぶかぶかの服の中で足掻き溺れ
ある者はぎゅうぎゅうの服に締め落とされ
窒息するありさまです。
 
大汗かいて駆けずり回り
もがき苦しんだあげく
音も無く横たわる下々のもとに
 
上様はおもむろに歩み寄ると
こう、お声をおかけになられるのでした。
 
 
上様「なぜ受け取ろうとしない」
 



おとぎ話はここでおしまい。
下々はどうするか。
上様はどうなるか。
続きはご自由にお考え下さい。


可笑しかったですか?
私には可笑しいですが
どこか不可解でもあります。

極論から悪魔的な人物を
冗談半分でこさえてみれば
書き終えた頃には
「こんなヤツいねぇよ」と
ひと笑い出来ると考えていた当ては
外れた気がしているからです。

こんな人、ざらにいるのです。

冗談を語るつもりが
知らず知らずに
怪談になっていたというので
意のままにならない私は
どこか面白くない

怪物を憎んでいた自分も
怪物であることに気づかされては
苦笑いするほかありません

しかしそれはちょっぴり愉快な事の
ような気もします。